どうもこんにちは。渡邉司です。
大変ご無沙汰しているのと、ようやく自分のホームページを更新する余裕が出てきたので改めて更新していきたいと思います。
とはいえ、これまでも更新したりしなかったりと不定期更新なので、暖かい目で更新を待ってもらえたらと思います。笑
さて、せっかくの復活記念なので、X(旧Twitter)でも更新しました6月に開催されたルイナール・ソムリエ・チャレンジのことについて書いていこうかと思います。
【ルイナール・ソムリエ・チャレンジ東京大会を振り返って】
コンクールへの挑戦を決意したきっかけ
知っている方もいると思うのですが、僕はこれまでコンクールのために仕事をすることは自分の信念に反すると思い、あえて距離を置いてきました。
僕にとって、ソムリエの仕事とは目の前のお客様のために最善を尽くすことであり、コンクールという舞台で評価されることを目的に日々を過ごすのはどこか本質からずれているように感じていたからです。
ソムリエである前にサービスマンでなくてはいけない。というのが僕の本音です。
ですが、ある時ふと「外から批判するだけでなく、実際に自分がその場に立ってみて初めて見えることがあるのではないか」と考えるようになりました。
コンクールというものがどれほどのものなのか、自分の実力がどこまで通用するのか、そして何より、結果を出した上で自分なりの意見や批判を述べることに意味があるのではないか…そんな思いから、今回の挑戦を決意しました。
準備期間に何をしたのか
とはいえ、実際にエントリーした時点では、正直なところ記念受験のつもりでした。営業担当の方にも「まじで記念受験だから誰にも言わないでください」と言ったくらいですから。笑
会社にも当日まで黙っていましたし、特別な対策をすることもありませんでした。日々の仕事の中で培った知識や経験だけで、どこまでやれるのかを試してみたかったのです。カッコよく言えば「お前毎日どれだけ意識高くやってんの?」ということを自分に再度問いかける感じですかね。
それでも、いざコンクールの日が近づくにつれ、やはり少しずつ緊張感が高まっていきました。とはいえ特に何をしたわけでもなかったんですけどね。普通に乃木坂の動画見てたし、ワインじゃなくてビールばっかり飲んでたし。
当日の雰囲気や印象的な場面
大会当日、いつもの出勤時間よりも早めに会社にいた僕に「なんで司くんいるの?早くない?」と他のスタッフに言われてようやく「実は今日コンクールなんです」と伝えて逃げるように会場へ向かいました。
会場となったアンダーズホテルには、有名レストランからホテル、街場のレストランからソムリエたちが集まっていました。
記念受験とはいえ会場の空気は独特で、さすがの僕も緊張感が芽生えてきました。
周りはホテルやレストランごとに知り合い同士で固まっている様子が印象的でした。
僕自身は知り合いが一人もいなかったので、次の日のワイン会のイベントの打ち合わせやワインの選定など、変わらず通常業務をしていました。これが逆に良かったのかもしれませんね。
そしていよいよ開場…と思ったら目の前には赤ワインが入ったグラスが4脚。シャンパーニュのコンクールなのにスティルワインなのか。と、びっくりしたのを覚えています。
特別審査員長の某有名ソムリエやシェフ・ド・カーヴのフレデリック・パナイオティス氏から説明等々があり、いよいよ競技スタート。持ち時間は40分。競技が始まると、会場全体が一気に静まり返り、全員の集中力が極限まで高まるのを感じました。
コンクールが終わった後はそのままマスタークラス(セミナー的なやつ)があったのと、すぐに仕事の連絡をしなければならなかったため、周囲の盛り上がりとは少し距離を置いていた自分もいました。
それでも、あの独特の緊張感と高揚感は、今でも鮮明に思い出されます。
気がついたら準優勝
なんとびっくり、セミナーを受け終わったあとすぐにコンクールの結果発表がありました。
そんなに早いのかと思いつつ、「誰が優勝するのかねぇ〜」なんて知り合いもいないのにそんなことを思いつつ「でも出されたワインがどんなワインだったのかは知りたい」と思っていたところ、「普段なら準優勝はないのですが、今回は準優勝者がいます」みたいなアナウンスがされ(あんまり英語が聞き取れず)
「では発表します。受験番号7番!ワタナベさん!」とフレデリックさんが…いや、違う人だったかな?緊張と酔いでこの辺の記憶はあまりないのですが、とりあえず「あ、はい!」なんて挙手をして立ち上がったのは覚えています。笑
学校の出席で呼ばれたかのように元気よく立ち上がったものですから、非常に恥ずかしかったです。
しかもコンクールで出されたワインやセミナーのワインを全て飲み干していたので若干酔っ払った状態だったものですから。
フレデリック・パナイオティス氏と交わした最後の言葉や思い出
表彰の際、ルイナールのシェフ・ド・カーヴであるフレデリック・パナイオティス氏から「おめでとう」というシンプルな言葉をかけていただきました。さらに、「次は世界だね」とも言っていただき、その一言が非常に印象に残っています。
僕は英語があまり流暢に話せるわけでもフランス語を話せるわけでもないので、彼との会話は決して長くはありませんでしたが、その存在感や温かさ、そしてワインに対する情熱は、短い時間の中でも十分に伝わってきました。
直前までセミナーも受けていましたからその凄さがよりはっきりとわかります。
ただ唯一残念だったのはコンクールで出題されたワインについて、なぜその銘柄を選んだのかを直接聞くことができなかったのが心残りです。
彼がその後、ベルギーでフリーダイビング中の事故で急逝されたと聞いたときは大きなショックを受けました。
実はその訃報を知った日はたまたまMHDの営業の方と打ち合わせをする日でもあったので、もしかしたら今回のコンクールは僕にとって受けることがどこか運命的なもので繋がっていたのかもしれません。フレデリック・パナイオティス氏。彼と話した時間はほんの少しでしたが、多分僕にとってこれからも胸に刻まれていくことでしょう。
後日フレデリック氏を偲ぶ会に呼んでいただき参列をした際にはルイナール・ブラン・ド・ブランを献杯としてたくさん飲ませてもらいました。多分あの日会場にいたどの人よりも飲んだ気がします。いや、あの日世界で一番ルイナール・ブラン・ド・ブランを飲んだのは僕だと自負しています。(多分2本か3本分くらいは飲みました…もっと飲む人もいるか)
準優勝という結果を受けての想い
準優勝という結果は、正直なところ自分でも驚いています。記念受験だったということもありますし、僕自身が他のソムリエと違い、ある意味“異端”だと思っています。ワインを飲まないお客様を蔑ろにすることは絶対にありませんし、コーヒーやカクテル、お茶や料理など、ワイン以外のことにもそれなりにきちんと向き合ってきたつもりです。
部下にも常々言っていますが、「ワインはあくまでお客様を喜ばせるための数多くあるツールの一つなだけで、一番は何よりも目の前のお客様を喜ばせることが最も大切」だと伝えています。
当然プロのソムリエですからワインのことは詳しくなくてはいけませんし、資格を取得してからが本当のスタートですし、それ以前に日々目の前のお客様と向き合うことがとても重要です。試験のための勉強、コンクールのための訓練、当然大事ですが、まずは目の前のお客様。です。
今回の結果は、そんな自分のスタンスが間違っていなかったと証明してくれたように感じますし、同時に、まだまだ成長の余地があることも実感しました。
悔しさももちろんありますが、それ以上に次へのモチベーションが大きく膨らんでいます。この経験を糧に、さらに自分を磨いていきたいと思います。
今後への抱負や読者へのメッセージ
私たちソムリエにとってコンクールの対策やブラインドテイスティングの精度は、大切ではあってもゴールの一側面にすぎません。プロフェッショナルとは、お客様に喜んでいただく時間を日々の仕事として形にできる存在だと私は考えています。
テイスティング力を磨き、多くのワインを分析、紐解くことは必要ですが、その知識をどう活かして“自分のお客様”をつくれるかが、本当の意味で腕が試されるところです。ワインだけでなくコーヒーやカクテル、お茶や料理まで幅広いカテゴリーを学び続けるのも、そのためにほかなりません。
もしワインを飲めない、アルコールが苦手、あるいは興味が薄いお客様がいらしたら、僕たちはどのような提案をすれば喜んでもらえるでしょうか。
目の前のお客様を笑顔にする。このシンプルな原点を胸に、これからも成長を続けていきたいと思います。
いつも応援してくださる皆さまに、そして素晴らしい機会を与えてくれたMDHの営業担当の方、ルイナール最高醸造責任者フレデリック・パナイオティス氏へ心から感謝を込めて。