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いいサービスは、記憶に残らないくらいでちょうどいい

「いいサービスでしたね。」
そう言われて、もちろん悪い気はしません。
でも、心のどこかで小さな違和感が残ることがあります。
本当にいい時間だったときほど、人はあまり多くを語らないものです。それかとてつもない賞賛をいただくこともあるのですが。
帰り道で、「なんか今日よかったね」それくらいで終わる心地よい時間。
今日は、そんな記憶に残らないサービスについて、
自分なりに整理してみようと思います。
こんちは渡邉司です。

サービスが“目立つ”瞬間は、だいたいズレている

現場にいると、サービス(ソムリエ)が前に出すぎてしまう瞬間をよく見かけます。
説明が多すぎる。タイミングが早すぎる、遅すぎる。お客様を思っての気遣いが、少しだけ押し付けがましい。
どれも悪意はありません。むしろ「ちゃんとやろう」という誠実さから生まれるものです。
説明が多いのは「きちんとしなくては」という気持ちの表れですし
タイミングが早いのは「テンポ良く出したほうがいいのかな」という気持ち
逆に遅いのは「ワインの追加が出るのか、早すぎても良くないな」という気持ち
様々な理由があってのことだと思います。
でも、その結果としてテーブルの主役が入れ替わってしまうことがあります。
料理よりも説明が残る。会話よりも所作が目に入る。
それは、少しだけズレている気がするのです。まあ所作は良いような気がしますが。大袈裟なパフォーマンスは必要ないかなと思います。

記憶に残らない=何もしていない、ではない

「記憶に残らない」と聞くと、何もしていないように思われるかもしれません。
でも実際は、その逆です。水が欲しくなる前に、自然に注がれている。
グラスが減ったことに、誰にも気づかれずに次のワインを提供している。
会話の流れが途切れないよう、そっと間合いをずらす。
僕はあえて料理やワインに触れずに放置することもあります。
興味をこちらに向けるためにあえてすることも僕はサービスマンに必要な技術だと思っています。
こうした仕事は、「起きなかったこと」として処理されます。
でも、その「何も起きていない状態」を作るために、こちらはずっと考え、見続けています。
「サービスとは、黒子であり、目立ってはいけない仕事」そう言い換えてもいいかもしれません。

僕が目指しているサービスの距離感

近すぎない。遠すぎない。
名前を覚えてもらう前に、空気を覚えてもらう。なので名刺もほとんど渡しに行きません。
前はガツガツ渡しに行っていたのですが、それも今はいらないのかな。と思ったりします。
サービスの場面では自分の存在が強く残るよりもその時間全体が心地よく残るほうがいい。
テーブルでの会話、料理の香り、ワインの香りと温度。
それらが自然につながっていく中に、自分は「溶け込む」くらいでちょうどいい。
僕はワインや飲み物をサーヴする時に、タクトを振るマエストロのようにエレガントに美しく繊細に注ぐことを意識しているのですが
そのタクトでお客様のテーブルの会話や温度も調律できたら良いなと思っています。
時には話すぎてしまって「やっちまったな」と思う時もあるのですが、それもまた人間だと言うことで。笑

忙しすぎて何も覚えていない夜

あるディナーの営業でこんなことがありました。
個室が入って団体がいて接待がいて同伴がいてのフル満席。
ありがたいことにその日に限ってシャトー・ムートンが出たり、ラフィットが出たり、DRCが出たりとてんやわんや。
※ワインだけで総額ウン百万円。
普段他のサービススタッフにも練習のためにボトルのオーダーが入れば抜栓から全てやらせることもあるのですが
流石にその日のワインはシェフソムリエの自分でなければ対応ができません。
しかも海外からのお客様もいらしたので英語での説明もマスト。忙しいのは嬉しいですが、これは流石にキツいぞ。と思ったものです。
若いヴィンテージから古いヴィンテージまで様々なワインのオーダーが入ったその日はもうクッタクタ。
売上だって良かったですし、良いワインが出たと満足したものですが、いかんせん全てのお客様にサービスが行き届いたのかと言われると正直自信はありませんでした。
何を話したか、ワインについての小話はしたのか、味わいについて細かく話したのかと聞かれると正直あまり覚えていません。
当然普通のことは話しています。味わいがどうとかちょっとした小話とか、もちろん料理のことも話しています。
ですが、「今日はうまくいったな」という手応えもなければ、「やってやった」という感覚もなく。
ただ、「とりあえず無事に終わった…」という気持ちだけで精一杯でした。と同時にこの日のお客様がまた来てくれるとは思えませんでした。
自分の中に達成感はなかったものですから…。
しかし後日、「また来ました」と言われたとき、ふと思いました。
「ああ、あの夜は、自分が前に出なかったから良かったのかもしれない」と。
側から見たらサービスとしては、何もしていないように見えたかもしれません。
僕自身も「やってやった」という感覚はなかったので、僕が振り返ってもそう見えていたはずです。
ですが、何も起きなかったこと自体がその時間の質だったのではないかと今は思います。

サービスは、後から思い出されるくらいでいい

レストランでの食事が終わって、店を出て、家に帰る。
その途中か、あるいは次の日の朝。
「昨日の食事、よかったね。」その一言の中に、料理も、空間も、サービスも、すべて含まれている。
個別に思い出されなくていい。名前を覚えられなくてもいい。
時間として、ちゃんと残っていればいい。
そう思うようになってから、現場が少し楽になりました。
とはいえ、ある程度の立場にはいるので名前を覚えてもらわないといけないんですけどね。笑

まとめ|主役は、いつもテーブルの向こう側

主役は、いつもテーブルの向こう側にいる。
僕は常にそう思います。自分が前に出るのではなく、時間が自然に流れるように支えること。
記憶に残らないくらいで、ちょうどいいと思えるようになりました。
とはいえそれは難しいし、記憶に残らないくらいでちょうどいいとはいえ「今日の自分のサービスは大丈夫だったかな」と常に思います。
ぶっちゃけ毎日毎営業不安です。
しかし、それこそがサービスですし、黒子である僕らの本質ではないかとも思います。
不安になるからこそ全てに気を配るし、過不足がないかどうか、予約に漏れはないか、懸念材料はないか、最後のお会計は見合っているかなどなど。
常に頭はフル回転。でもそれでいいんです。
主役は、いつもお客様ですから。

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